ガラガラガラガラ……馬車は森を切り開いて作られた馬車道を音を立てて走っている。『シセル』の村が近付いて来るにつれ、だんだん周囲の雰囲気が変わってきた。辺りは鬱蒼と茂った木々に覆われ、太陽の光もよく届かない。馬にまたがって先を進む『エデル』の使者達も緊張しているのか、会話をする者は誰もいない。「一体…何でしょうか……この森、随分嫌な雰囲気が漂っていますね。先程までは鳥のさえずりや小動物たちを見かけたのに……」流石のトマスも異変を感じているのか声が震えている。すると今まで無言だったユダが口を開いた。「当然だ。この辺りは『シセル』で大量発生したマンドレイクのせいで生物たちは恐れて近づかないからな」「な、何ですって?! マンドレイクッ!? まさかあの毒草ですかっ!?」トマスは驚きの声を上げ、次に私を見た。「王女様……ご存知でしたか……?」「ええ……知ってたわ……だって、あの村では……」そこまで言いかけた時、前方で悲鳴があがった。「ウワアァァッ! た、助けてくれ!」「で、出たっ! マンドレイクだ!」「火だ! 火を放て!!」「まずい! 助けに行かなくては!」「行くぞ!」馬車の側を並走していた兵士たちが馬で駆けていく。「うわああ! こ、今度は何が起きたのですか!?」トマスが頭を抱えて叫んだ。馬で駆けていく兵士達を見ながらユダが舌打ちした。「チッ! 出たか!やはり……あの時、処理しておけば良かったのに……!」「ユダッ! ま、まさか……マンドレイクって……」私は声を震わせながら尋ねた。「はい。おそらく巨大化したマンドレイクが現れたのかもしれません。前回この森を通った時、子供ほどの背丈のマンドレイクを見かけたのですが……その時は危険性は無いものとして放置してしまったのですが……」「そ、そんな……!」マンドレイクは巨大化すると意識を持つ。そして生き物を襲って生気を吸い取ると言われている、恐ろしい植物なのだ。「姫さん!」スヴェンが馬で駆けつけてきた。「スヴェン! 一体何が起きているの!?」「それが、いきなり茂みから人の背丈ほどもある巨大植物が現れたんだ! それで突然根を伸ばしてきて兵士たちの身体に巻き付けてきたんだよ!」その話にユダの顔色が変わった。「何だと!? まずいっ! マンドレイクは獲物を根で捉えて、生気を吸い取る
馬車はゆっくり走り始め、それまでは少し離れた距離を馬で走っていた兵士達なのに今はピッタリ馬車に並走するように走っている。馬車の窓からは景色ではなく、今は兵士の顔が見える。彼等は時折、チラチラとこちらを見ているのが落ち着かない。「何だか、監視されているみたいで落ち着かないですね」トマスが小声で話しかけてきた。「ええ……そうね」馬車の扉は閉じられているし、車輪の音で外の兵士たちに話し声は聞こえていないとは思うけれども、ついつい声が小声になってしまう。「仕方ありません。本当に俺は監視されていますからね」ユダはチラリと周囲を警戒しながら返事をする。今、ユダは足かせをはめられ、両手首は一緒に縄で縛り上げられている。完全に拘束された状態の彼は見るも哀れな姿だった。「ユダ……私は貴方を信じるわ。何とか貴方の無実を晴らす方法を探してみるから、もう少しだけ待っていてくれるかしら?」「クラウディア様……何故そこまでして…」ユダは目を見開いて私を見た。「だって、ユダは濡れ衣を着せられただけでしょう? そして、おそらく貴方の立場が悪くなってしまったのは私が原因じゃないの?」「……」しかし、ユダは返事をしない。「え? それはどういう意味ですか?」まだ状況を余り把握していないトマスが尋ねてきた。「つまり私をよく思わない人達が『エデル』にいるということよ。でもそれは当然のことよね……何しろ私は勝手に戦争を起こした『レノスト』王国の生き残りの姫なのだから。父が起こした戦争のせいで『クリーク』の町の人達も巻き添えになってしまったわけでしょう?」「確かにそうですが、でもそれはクラウディア様のせいでは……」その時、馬車と並走していた兵士が馬車の扉をノックすると注意してきた。「話をするのはやめろ」「わ、分かりました……」トマスはおっかなびっくり返事をした。すると次に兵士は私に視線を移した。「クラウディア様も……その事を肝に銘じておいて下さい」「ええ、分かったわ」私は頷くも、ユダは口を閉ざして返事をすることは無かった。仕方がない……。『シセル』に到着するまでは会話をするのは諦めたほうが良さそうだ。第一、『シセル』に到着すればユダに注意を払っている余裕は無くなる。回帰前……私は『エデル』の使者達に『シセル』に連れて行かれた。そこで無数の『死』
結局、ユダをどうすれば良いのか名案が思い浮かばなかった彼らは私とスヴェンの提案に従うことになった。何より、ゆっくり話し合う時間が無かったことが大きな要因の一つでもあった――****「ええええ!? ユ、ユダさんを私たちの馬車に乗せるって言うのですか!?」リーシャとトマスの元に戻った私とスヴェンはユダを馬車に乗せることが決定したことを報告すると、やはり一番驚いたのは他でも無いリーシャだった。リーシャはユダのことをよく思っていないので、これは当然の反応だろう。「ええ、そうなの。取り合えず『シセル』に着くまでの間、ユダは私達と同じ馬車に乗ることになったわ。だからよろしくね」「確かに……足枷をはめられた状態では、馬に乗ることは不可能ですしね」遠くの方で、仲間たちの手によって腕を縛られているユダを見ながらトマスが頷いた。「次の『シセル』までは1時間弱で到着するらしいから、それほど長い時間一緒にいるわけじゃない。だから連中もユダを姫さんたちと同じ馬車に乗せてもいいだろうと思ったんじゃないか?」スヴェンの話にリーシャはそれでも不満そうだった。「それでも……私は嫌ですよ……。だってユダさんて目つきは悪いし、何だか私のことを敵視しているようですし。かと言って、ここでユダさんを置き去りにするのもどうかと思いますけど」「ごめんなさいね、リーシャ。貴女に何も相談せずに、勝手にこんなことを決めてしまって。でも他に方法が無かったのよ」こうでもしなければ、『シセル』に到着するまでの間……ユダの身の安全を確保できるとは思えなかった。「リーシャさん。ユダさんはリーシャさんが思っているほど、悪い人ではありませんよ?」ユダを信頼しているトマスがリーシャを説得しようとしてくれている。「ええ、少し不愛想なところはあるかもしれないけれど、根はいい人なのよ?」すると私の言葉にリーシャは首を振った。「クラウディア様の決められたことに反論するつもりはありませんが……それでも私はやっぱりユダさんと同じ馬車には……乗りたくありません」「リーシャ……」困ったことになった。まさかリーシャがここまで反対するとは思わなかった。するとスヴェンが提案してきた。「そうか、そんなにユダと一緒に馬車に乗るのが嫌なら…リーシャは荷馬車にのったらどうだ?幸い今はそんなに荷物は積んでいないから、余
午後1時――全員が目覚め、軽く非常食を食べ終えるとついに出発する準備が始められた。「う~ん。馬車の中で休息は取っているのに、何故また眠ってしまったのかしら……?」まだ少し眠そうな様子のリーシャが寝袋を畳みながら不思議そうに首をひねっていた。「そうですよね? 僕もそう思います。何故か急激に強い眠気に襲われて、気づけば眠りに就いていて、挙句に出発時間になっているのですから」トマスも寝袋を畳みながらリーシャ同様に首をひねっている。「きっと2人とも、疲れが取れていなかったからじゃないかしら?」「クラウディア様はちゃんとお休みになられましたか?」リーシャが尋ねてきた。「ええ、休んだわ」「それは良かったです。ここのところ、ずっとお疲れのようで心配だったのですよ」リーシャが笑みを浮かべた時、スヴェンがこちらにやってきた。「姫さん、『エデル』の連中が打ち合わせを始めるみたいだ。皆でユダが監禁されている家に向かったようだぞ」言われて見れば、確かに『エデル』の使者たちの姿が見えなかった。「一体ユダさんはどうなるのでしょうか……」ユダを信用しているトマスは心配そうだった。「そうですよね……まさか、ここに置いていくなんて言い出すつもりではないでしょうか?」リーシャが不安気にしている。「まさか……絶対にそんなことはさせないわ。その為にも今からスヴェンと説得に行ってくるわ。2人はここで待っていてくれる?」「はい、分かりました。ですが……うまくいくでしょうか?」「大丈夫よ、トマス。何とか説得してみるわ」「クラウディア様。私もご一緒しましょうか?」「平気よ、リーシャはいつでも出発出来る様に準備をしておいてくれる?」リーシャに返事をすると、次はスヴェンに声をかけた。「それじゃ行きましょう、スヴェン」「ああ。行こう」私とスヴェンはユダが監禁されている家へと向かった。****「クラウディア様……またこちらへいらしたのですか?」家の前にやってくると、扉の前に立っていた見張りの兵士がうんざりした顔で私を見た。「おいおい、そんな言い方は無いだろう? 仮にも姫さんはあんたの国の国王に嫁ぐお方なんだろう?」「う……」どうもその言葉を出されると彼らは弱いらしい。「わ、分かりました。では……どうぞお入り下さい」兵士は渋々扉を開けてくれた。ガチャ
「スヴェン。私がヤコブが怪しいと思ったのか、理由はまだ他にもあるわ。貴方はこの状況を見て何か感じない?」深い眠りに就いている『エデル』の使者達を見渡した。「皆、よく眠ってるよな。余程疲れているのか……?」「それもあるかもしれないけど、だったら今起きているスヴェンもヤコブも同じことよね? なのにスヴェンは起きていられるでしょう?」「まぁ確かにな」「逆に、馬車の中で休息が取れるリーシャもトマスも良く眠っているわ」「……そう言えばそうだな……」「私ね、嗅覚がすごく優れているのよ。今この周囲は風に乗って、ある特殊な匂いに満ちているのが分かるの」「特殊な匂い……? すまん、姫さん。俺には良く分からないよ」スヴェンが申し訳なさ気に頭を下げた。「いいのよ、別に謝らなくて。気付かないほうが当然だから」「そうか……それでどんな匂いが漂ってるんだ?」「ええ。この香りはワスレグサと呼ばれる植物で、別名『スイミンソウ』とも呼ばれているハーブの一種よ」「『スイミンソウ』? 聞いたことがないな」首を傾げるスヴェン。「知らなくて当然よ。これは不眠症の人に調合される睡眠薬みたいなものだから。多分特殊な製法で作られたのだわ」この睡眠薬はとても高級で、貴族や金持ちしか手に入れることが出来ないのだ。現に回帰前、私はアルベルトと『聖なる巫女』カチュアの存在のせいで、悩み苦しんだ。そのおかげで不眠症になり、『スイミンソウ』を毎晩常用する様になっていた。「それで皆眠ってしまったのか……ん? だったら何故だ? 俺も姫さんもヤコブも平気なんだ?」「ヤコブが何故眠らずにいられるのかは分からないけれども、ある意味彼が『スイミンソウ』の香りを充満させた証拠になるわ。そして私とスヴェンが眠らずにいられるのは【聖水】のお陰よ」「【聖水】……?」「ええ、食事を終えた頃から匂いを感じ始めたの。だからあらかじめ【聖水】を少し飲んでおいたのよ。ありとあらゆる毒物や身体に影響が及ぼされる成分を中和してくれるから」「【聖水】って飲めるのか?」スヴェンが驚いた様子で尋ねてきた。「ええ。勿論よ」「でも俺は飲んでないぞ? でもどうして平気なんだ?」「多分、今持っている剣のおかげだと思うわ」「え……?」スヴェンは腰に差してある剣を見た。「アンデッドとの戦いの前に貴方に【聖水】を渡した
ここでは少し場所が悪いということで、私とスヴェンは廃屋となった建物の陰に隠れるように座った。「姫さん……もう本当は気付いているんだろう?」小声で語るスヴェン。「ええ……。スヴェンも気づいていたのね」「ああ、勿論だ。あの毒蛇の事件から疑っていたんだ。誰のことかは分かるよな?」「ヤコブでしょう?」「そうだ。姫さんはいつ気付いた?」「スヴェンと同じよ。毒蛇の事件から疑ってはいたわ」「やっぱりな……」スヴェンはため息をついた。「きっと、あいつだけはユダが初めに配ろうとしていた危険生物除けの匂い袋を身につけていたんだろうな」「ええ、間違いないわね。多分ヤコブは毒蛇に噛まれていなかった。彼の傷だけ不自然だったわ」「そうだよな。他の奴らは皆噛まれた部分が紫色に鬱血していたのに、あいつだけは不自然だった。確かに噛み後のような丸い傷跡が2つあって、血は流れていけれども鬱血はしていなかった。あの時は全員が噛まれていたから慌てていたし……」「そうよね」あの時、私とスヴェンは焦っていた。全員毒に侵されてしまったと思い込んでいたのだ。それで手分けして何処を噛まれたのかを調べた。そしてろくに傷の状態を確認もせずに、【聖水】をかけてしまった。「恐らく、ヤコブは事前に蛇に噛まれたように見せかける為に自分で傷を作ったのだろう。それで自分も毒にやられたかのようなフリをしていたんだ」「そして頃合いを見て、意識が戻ったように演技をしていたのね……」「アンデッドにしたって、そうだ。あの時、先導を切って前を歩いていたのはヤコブだったんだよ。姫さんは気付いていたか? 妙に進むのが遅いと感じなかったか?」「ええ、それは思ったわ」「ほかの連中も妙に遅いと首を傾げていたんだよ。その矢先にアンデッドが現れた。わざとあの時間に合せるかのように歩みを遅くしていたように思わないか。でも疑っていたらきりが無いよな。危険生物を引き寄せる匂い袋と言ったって、まさかアンデッドは死霊だから危険生物にはあたらない可能性もあるし……」スヴェンは苦笑した。「いいえ……多分、アンデッドも同じよ。恐らく匂いに引き寄せられたのだと思うの。私もヤコブを疑ってはいたけれども、さっきの彼を見て疑いが確信に変わったわ」「さっきのヤコブ? 何かあったか……? あ! そう言えばあいつ……ポケットから何か布のよ